がんの免疫


  橋本嘉幸

 共立薬科大学

司会;橋本嘉幸先生に「がんの免疫」ということでお話しいただきます。橋本先生は東京生化学研究所研究員、 東北大学薬学部教授、さらに佐々木研究所所長を経られまして、現在、共立薬科大学理事長をなさっておられます。橋本先生、 ご専門は免疫学でございますが、化学発がんの造詣も大変深くていらっしゃるとうかがっております。  吉田先生とは共同研究をされた石館守三先生の門下生です。それでは、橋本先生よろしくお願いいたします。

 私が話させていただきますのはがん免疫研究の一端です。私は吉田先生の孫弟子みたいな関係で、 直接吉田先生から学問のご指導を受けたということありませんが、吉田先生のお弟子さん、これからお話しする方々に非常にごやっかいに なって、いろいろな仕事をさせていただきました。

1.吉田先生と石館先生

 恩師の石館先生は昔ナイトロミンをつくられましたが、そのスクリーニングをどうするか、効果をどうやって調べるかということで、いろいろ考えておられましたが、吉田肉腫の報告を見て、吉田肉腫のスクリーニングに用いたらいいのではないかと思いつかれて、当時、仙台におられた吉田富三先生のところに直ちにとんで行き、それ以来、吉田先生と親交を結ばれたということです。
 ちなみに吉田先生は仏教徒、石館先生はクリスチャンでありまして、また、吉田先生は両刀遣いの酒豪でしたが、石館先生は甘党、また性格もかなり違っておられたようですけれども、人間というのはそういう違いによらず、心の底の哲学が結びつけば親交を結ぶという一つのいい例かと思っております。

2.佐々木研究所の先生方

 吉田先生のアゾ色素のお仕事は佐々木研究所では分業的に行われていました。まず、小田嶋成和先生がジメチルアミノアゾベンゼン(DAB)、あるいは3’-メチル-4-ジメチルアミノアゾベンゼンをラットに与えて肝臓がんをつくる。できた肝臓がんを今度は佐藤博先生がラットに移植して、それを腹水がんにする。さらにその細胞の性格を井坂英彦先生が試験管内培養技術を用いて明らかにしていくという流れで、一連の吉田肉腫はじめ吉田肝がんという立派なシリーズの仕事が積み上げられて行きました。
 私は最初は小田嶋先生がアミノアゾ色素の肝臓がん発生に関して、そのメカニズムを知りたいということで、石館先生のところに来られて、まず、薬物代謝の方面から追究しました。爾来、小田嶋先生にはいろいろな面でお世話になりました。私がいくらかがんの病理を見られるようになったのは、小田嶋先生のおかげです。

3.がん免疫研究

 1962年にアメリカ留学から帰国して、石館先生が退官後につくられた東京生化学研究所にまいりました。佐々木研究所で佐藤先生がラットに吉田肝がん細胞を移植して、それを抗がん剤で治療して治す。そこにもう一度同じがんを移植すると、拒否される。移植がんは例えば、がん細胞1個でも移植可能である吉田肉腫細胞でも、かなり多数を移植しても抗がん剤でがんが治ったラットには植わらなくなる。そのメカニズムは一体何か。そのメカニズムをおまえがやってみてはどうかと石館先生に指示されたことがきっかけで、がん免疫の仕事を始めました。
 実際にはラットでの観察を試験管内に持ち込み、吉田肉腫細胞を60Coで照射するか、ナイトロジェンマスタード(ナイトロミンの母体)で処理してラットに移植します。このように処理されている細胞はいずれラットの体内で消失します。そのあとで生きた吉田肉腫細胞を移植してもそのラットには植わらなくなる。つまり、生体内での移植細胞拒否反応が試験管内処理したがん細胞の移入で惹起できるということがわかりました。
 この移植免疫のメカニズムを知るために、処理したラットのリンパ系細胞を採取して、それを試験管内で吉田肉腫と一緒に培養すると、見事に吉田肉腫がラットのリンパ球によって破壊される。その課程を見ますと、今で言う典型的なアポトーシスでした。一方,吉田肉腫に対する抗血清と補体を加えて培養すると、吉田肉腫細胞は膨潤して、今で言うネクローシスで死滅します。これらの2つの細胞死の様相を16mm映画で撮影しました。以上のような研究はがんを免疫で治したいという目的に添ったものです。がん免疫療法の方向には抗体を用いる方法とリンパ球(キラー細胞)を狙う方法とがあります。抗体としては特定のがん抗原に反応する単クローン抗体をつくって、がん治療に応用するのが一般的です。現在、乳がんや白血病などに選択的に働く単クローン抗体が作られ、臨床でのがん治療に用いられています。
 キラー細胞を誘導するのはがん抗原蛋白質分子の一部分のペプチドであることが解明されていますので、そのペプチドを使ってがん治療を行います。この場合、キラーリンパ球を試験管内で増やして患者さんに移入することも可能ですけれども、それよりもがん抗原ペプチドを患者さんに注射して、体の中でキラーリンパ球を誘導してやる方が効率がよいわけです。たとえば、メラノーマ抗原ペプチド(いくつかの種類がある)を患者さんに与えてメラノーマや同じ抗原を発現している胃がんの治療を行う。また、日本で開発された扁平上皮がんの抗原ペプチドを用いてのがんの治療も検討されています。
 基礎(前臨床)研究は一般的には移植がんを使っての実験動物で行われます。しかし、移植がんで得られた成績を,そのままヒトのがんの治療に当てはめるのは、間違いであるということは、古く1926年(大正15年)の山極勝三郎先生の論文に「移植がんに対する人口的免疫は、これを動物が偶発腫瘍に対する自然,あるいは人口抵抗力増加と同一視すべからざることとなった」と、ご自分の経験から書かれています。現在でもこの考え方を踏まえてがん免疫の基礎研究を行うことが大切です。

おわりに
 吉田先生はかつて「生物現象は何かがあるから起こると考えるのが一般的であるが、何かがなくなると起こるということもある」とおっしゃった。これは今でいうsuppressorの現象をちゃんと認識されていたわけで、おそらくほかの科学領域でもそうでしょうけれども、特に免疫においては非常に大事な考え方です。
 吉田先生とご親交のあった阪大の山村雄一先生は飲み仲間でもあられたということですが、山村先生はかつて「研究者の中にはお花畑で酒を食らっているようなやつもいる」と非常に厳しいことを言われておりました。要するに,基礎学者は自分でただ喜んでいただけではだめで、ちゃんとその目的意識をはっきり持って研究をしなければいけないという警鐘だと思います。ちなみに私は下戸でございますので、酒を食らうことはないのですけれどね。これをまんじゅうと入れ替えれば、お花畑でまんじゅうを食らっているようなやつもいるということになるかもしれません。