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解説;下記の文章は、漱石が明治25年12月、文科大学(後の東京帝国大学)英文科3年に在学中(25歳)に、教育学学位論文として書いた「中學改良策」の一部である。「中學改良策」は3編からなり、佐々木政吉について触れているのは、第三編中學改良策の第三章である。佐々木政吉は、一高生徒のために当時自ら推奨し民間で非常に盛んだった健康法である「冷水養生法」について講演した。これに関しては、
佐々木政吉著、滝沢菊太郎編、冷水養生法(開発社、東京、明治36年)が出版されている。なお、読みやすいように、原文では付いていない句読点を付けた。 |
中學改良策
夏目漱石
第三章 生徒の改良
生徒徳育の改良、方今の少年子弟を見て驚くは其徳義心に乏しき事なり。余は現に或る地方に遊んで、某所の少年気風卑野なるを見始めて大學の有り難さを知れり。それ迄は大學の學生を以て半分以上箸にも棒にもかからぬいたづら者とのみ思ひしが、世の中にはまだまだ甚しき難物あるを見出し大に教育の大切なるを覺れり。
尤も余輩時代の書生は幾分か漢學を専修したるもの故、知らず知らずの問に支那風叉は武士風の気象が少しは残れども、現今の中學生徒抔は其教育系統の情況にて所謂漢書購讀時期なるものを有せざるが如し。従って徳義上の根本は甚だ覺束なからんと推察せらる。吾輩時代すら既に道徳壤亂の萌芽を發生せる位なるに、今後の少年が一?甚しくなりては日本の運命も其限りなり。
人間といふものはたとひ一定の主義ありて守る所ありてすら、時には一朝の感情に支配せられて圖らざる過ちをなす位なるに、無主義無作法の連中が勝手次第の我儘を仕儘したらんには實に寒心すべき?損害を釀すに至るべし。
先年木下廣次氏始めて第一高等中學教頭となりし時生徒を聚めて一場の演舌に其風儀の亂れたるを慨し、諸君が教師を尊敬するは眞に教師を尊敬するにあらずして點數の爲に之を尊敬するに過ぎずと云はれたるは生徒の悪風を穿てるの言なり。
例を擧ぐれば數々あれど某中にも尤も著るしかりしは、佐々木政吉氏生徒の爲めに冷水浴の功能を述べたしとて態々生徒を集めて親切に演舌せら〔れ〕し事あり。元来なれば醫學博士とも言はるべき人が吾輩書生の健康を気遣ひ餘計な時問を潰しての演舌なれば謹んで聽聞する筈なるに、某時多數の生徒は聲を揚げて教授の吶辨を嗤笑せり。 是は實に心ある人をして嘔吐をも催さしむべき非禮の振舞にて、第一高等中學の生徒にあるまじき淺墓なる者ともかなと思へり。
かかる生徒が大學に入ればこそ喫烟室の設けあるにも係らず妄りに廊下にて烟草を燻らし、或は木履のまま教場に闖入し吾は學校の規則を犯す丈の勇気ありと云はぬ許りの得色あるに至るなり。堂々たる大學の學生が素が素なれば其粗野なる事斯の如し。見識の高きはよけれど見識が高ければとて不禮の振舞をなして揚々たるは片腹痛し。
小人を見て之を賤しむは好し、之に接する時は矢張り人間に對するの禮なかるべからず。無理なる校則は廢すべし、之を犯すは不可なり。況んや長者に對してをや遵ふべきの教則に於てをや。かほどの事に気のつかぬ學土の出来するは矢張り中學の教育其富を得ざるが爲のみ。
第一高等中學の生徒は風儀が悪けれど見識あり(少なくとも余が居りし頃は)、地方の尋常中學杯にては見識もなき癖に一層生意氣なる處もある様なり。現に余が旅行せる某地の如きは某適例にて某生徒は只教師を意地め困らせるを考ふるの外他に一個の美徳を有せずと云ふも可なり。但し是等の弊は良教師を得ると同時に漸々消滅するものなれど左に聊か匡濟の方法を述んとす(以下略)
「漱石全集、第22巻、113-114頁、岩波書店、昭和32年」