解説;夏目漱石の佐々木東洋に関する文章
 
夏目漱石による佐々木東洋人物評とでも言うべき文章を二つ紹介する。
一つは、明治四十一年、漱石四十五歳の時に書かれた「處女作追憶談」、もう一つは、大正三年、漱石五十一歳の時の学生を対象とした「無題」という講演記録であるが、佐々木東洋に関してほぼ同様なことが述べられている。
「處女作追憶談」を書いた当時は、漱石が小説家となることを決心し東大講師を辞め日本初の朝日新聞社小説記者の道を歩み始めた時である。追憶談とは、かの「吾輩は猫である」を書くに至ったまでのことがらで、特にまだ学生であった頃に将来の道を色々と模索していたことが述べられている。漱石は自分が変物であるのを自覚しており、かつそのままで世の中に欠くべからざる仕事がないだろうかと考えていて、佐々木東洋のことに思いが至ったのである。
明治四十一年と言えば、杏雲堂醫院が開設されて以来既に二十六年目となる。東洋は十二年ほど前、五十七歳で既に院長職を養子政吉に譲り、東京府医師会長も辞任し、熱海の別荘無住庵で悠々自適の生活を送っていた頃である。丁度明治四十一年には古希の祝宴を政吉邸で開かれたとの記録がある。その当時でも、東洋は漱石の頭の中に印象的に残っていたことを示す文章と言えるだろう。
「處女作追憶談」を現代日本語で記載したものが、青空文庫にあります)